ボツになったけどそのまま捨てるのはもったいないな~と思う原稿があったので掲載します。内容は、某大学の入学案内のコンペで提案したもの。取材した体で書いていますが、
以下、フィクションです。
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大学で学ぶ意味の大きさを知った。きっかけは教授の言葉だった。
入学したばかりのころは、大学の講義に当惑していた。
というのも、講義では学問の基礎的な概念や「いまどんな説が有力か」を学ぶことが主で、先生は「これが正解」などとは言ってくれないからだ。高校までは、先生の言うこと、教科書に書いてあることが正解だったから、大学の勉強に物足りなさを感じたりもした。
でも、あるとき先生から「このテーマは研究の途上にある。だから、いまのところこれが正しいとは言えるが、絶対とは言えない」という言葉を聞いて、それまでの疑念が一瞬で晴れた。大学の先生は教員であると同時に研究者であり「知識の限界」を知っている人なのだ。以来、私は「知識とは何か」「人間は何を知ることができるか」をいつも意識しながら、自分で課題を探し、専門の研究を深めていった。
仲間や先生との議論は、研究の大きな助けになったことは言うまでもない。忙しいなか、懲りずに付き合ってくださった先生には感謝している。でも、先生もその時間を楽しんでくださっていた気がするのは、私の錯覚ではないと思う。
「知識の限界を知って、なお努力すること」ができるのは大学だから。
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