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生命はその中に欠如を抱き,それを他者から満たしてもらうのだ。-映画『空気人形』より

更新日:2020年4月23日

映画「空気人形」を観た。空気人形とはいわゆるダッチワイフ、いまはラブドールというのだろうか。空気を入れるタイプは旧式らしいが、その空気人形があるとき「こころ」を持ってしまったことから物語は始まる。


こころを持った空気人形が最初にしたことは、持ち主が仕事に出ている昼間に街をふらふらとさまようことだった。初めて目にするものばかりのなかで少しずつ世界を把握していく空気人形。そして、偶然立ち寄ったレンタルビデオショップ店員の青年に恋をする。

空気人形はさえない中年の持ち主があまり好きではないらしい。まあ、それはそうだろう。なんせ彼女は性欲処理の対象としてしかみられていないのだから。

(ていうか、そのために生まれ、そのために買われたんだから当たり前なんだけど…それでも彼女が家に到着した日は2人で誕生日パーティを開いたり、毎日一緒に楽しく会話しながら食事をしたり、それなりに大事にはされているんです)


やがてビデオショップでアルバイトをすることになるのだが、不注意で身体に穴をあけてしまい青年の前でしぼんでいく空気人形。しかし、そこで青年は慌てず、セロテープで応急処置をし、空気穴から息を吹き込んで、彼女をもとにもどす。


彼が息を吹き込むたびに、びくびくと反応する空気人形(ペ・ドゥナ)。

この場面は数ある映画のなかでも、かなりエロティックな表現だと思う。


でも「こころ」を持ってしまったがゆえに空気人形は、自分が空虚な代用品であることを

イヤでも思い知らされるわけで、人形のままでいたほうがずっとしあわせだったのかもしれない。


話しは飛びますが、漫画「人造人間キカイダー」のなかで語られるキカイダー=ジローの悩みがこれとよく似ています。不完全な良心回路を組みこまれたため、ジローは闘うたびにいちいち悩みます。けれど、物語の終盤で良心回路が完全なものになったとき『目的のためには兄弟だって壊せる』と言い切るまでに成長(?)しました。エピローグの“ピノキオは人間になりました、でもそれはしあわせなことだったのでしょうか?”という問いかけは、忘れられない読後感を残すのです。


人形が「こころ」を持つことはどうやら不幸のはじまりらしい。

では同じように「こころ」を持つ、我々人間は?



劇中、空気人形がモノローグで語る吉野弘の詩「生命は」がとても印象的なので

長いけど全文を引用します。


生命は

自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃(そろ)っているだけでは不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き,それを他者から満たしてもらうのだ


世界は多分,他者の総和

しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士、無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?


花が咲いている

すぐ近くまで

虻(あぶ)の姿をした他者が

光をまとって飛んできている


私も あるとき

誰かのための虻だったろう


あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない






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